逝かせ方。結城美帆子

逝かせ方は、医師の力量が問われるように思います。先週の木曜日に母の同室の方がお亡くなりになられたのを見ていて「この病院は、人の死をルーチンにし過ぎていて嫌だな」と、思いました。病院ですから当然死んで行く人がいます。であるならば、人生の最期の時をプロデュースするのも医師や看護師の大切な仕事なのではないでしょうか?ペットロスと言う言葉がありますが、愛する人が亡くなった時も人間ロスがあります。飼っていた愛犬が死んだ時、私自身もペットロスなるものにおちいりましたが、赤坂動物病院の柴内先生のもとで愛犬が死んだ時は、ペットロスにおちいる事はありませんでした。ペットロスにおちいるかどうかは、獣医師次第だと思いました。飼い主が納得できる死に方であればペットロスにおちいる事は無いと思います。人間も同じではないでしょうか?いかに飼い主の(患者の家族の)理想の死に方に近ずける事ができるか、医師や看護師の理想の死なせ方ではなく、患者の家族の理想の死なせ方が大切なのです。筑波大学附属病院の医師は、日本において「安楽死」が認められたら、どんどん安楽死を実行するように思えます。丸島愛樹医師は「心臓マッサージや気管挿管は、苦しみを与える事になります」と、申しますが、患者本人はどう思っているかなんてわからないのではないのでしょうか?たとえ患者本人が知識が不足していて「死ぬまで生きていたい」と望んだ場合は、患者本人は延命を望んでいるということなのではないでしょうか?特に戦争を経験した年齢の人は、死にことは考えていないように思います。「認知症になりたくない」と思っているようですけど、自分は認知症ならない、関係ない、と思っている人が多いように思うのです。でも、母のおかげで、脳梗塞の患者がこんなにも多いこと、認知症の人がこんなにも多いことがわかりました。普段から自分の最期の迎え方を考えて生きて行くと良いと思います。私は、最期の最期は神の御手に委ねますが、ピアノを弾くことが出来なくなったらこの世を立ち去りたいと思っております。