誰のための治療で誰のための医療なのか?結城美帆子

脳梗塞を患って、終末期の医療治療は誰を幸せにするものなのでしょうか?母が急性期病院からリハビリ病院に移ってから、嘔吐と発熱があり、CRPが上昇し最終的に20まで上がってしまったのですが、抗生剤を何種類も使いました。私は、素人ですが、薬は副作用があるわけですから、こんなに色々な抗生剤を使って大丈夫なのか不安でした。筑波大学附属病院に戻った時、主治医の丸島先生は「リハビリ病院の先生は一生懸命やってくれたと思いますよ」と言いましたが、誰のための何のための一生懸命だったのでしょうか?患者である母のための一生懸命ではなく、「医師としてやるべきことはやりました」と医師が言い訳をするための一生懸命だったのではないかと思います。本当に患者の体のことを思えば、あんなに抗生剤を使ったら体を痛めるではないですか?医療をわからなかった私の責任です。何が間違っていたのかわからなくて悩んでおりましたが、筑波大学附属病院および系列の病院の考え方の違いだったように思います。筑波大学附属病院系列の病院の医療治療は、患者主体では無く、医療者治療者が主体のようです。最後の最後、丸島先生は私の希望を考えてくれたように思いますが、筑波記念病院も筑波大学附属病院も患者のための医療患者ファーストではない病院だったと思います。実績は、患者個人は必要ではありませんからね。病院が望んでいる事と患者が望んでいることが違う場合、治療は上手くいかない。患者を痛めつけるだけになってしまう。患者の気持ち望みを聞き出すテクニックが医師にあれば良いと思う。でも、今の医師には無理だ。であるならば、病院を選ぶしかない。日本では、まだ、かかりつけ医は患者が選ぶ権利を持っているから、自分の合ったかかりつけ医を探すことが健康で長生きする秘訣なのではないかと思う。いずれ私も死ぬ。介護を受けるような事態になって死ぬのは嫌だな。介護を受けないで死にたいな。死ぬ時は、どんな死に方であろうが苦しいと思うが、みんなが通る道ですから、私にも耐えられると思うのです。