介護日記。結城美帆子

介護を必要としている人の主体性や権利と言うものは無視されても仕方がないのであろうか?たとえば、胃ろう(胃に穴を開けて穴から栄養剤を入れる)にしないと入れるつもりはありませんが老人ホームや介護施設を利用できないのです。胃ろうは口から胃カメラを入れなければなりませんのでとても苦しい思いをしなければなりません。権利にしても、選挙権を行使することができないのです。母は、必ず選挙権を行使しておりましたし、選挙の手伝いもしてました。私が小学生の頃だったと思いますが、選挙権を持っている人を車で家まで迎えに行って投票所に送っていき、家まで送って行くと言う事をみんなでしてました。昔の選挙はすごかったです。なのに、母は今、投票する事ができないのです。権利を行使する事ができないのです。色々なものがお金を生み出し飯のタネになりますが、病人や高齢者が飯のタネになっているのは嫌だな。人間なのですから。デイサービスにしてもショートスティにしても、利用者は飯のタネで将棋のコマのようにされている様な気がするのは私だけでしょうか?福祉の現場には「情」と言うものはないのでしょうか?保険で月2回と決められているからとか言われましたが、働いている人も将棋のコマなのですね。国が決めた中でいかにしてお金を儲けるかが保険医や介護に携わる人達が思う事なのでしょうね。利用者がいなければ介護の事業所は倒産しますからね。この世から病気がなくなる事はないでしょうから医師と言う仕事は無くならないでしょうね。どんなに医者にかからない様にしていても、さいご死んだときは医者に死亡診断書を書いてもらわなければならない様ですけどね。キリスト教では、収入の1割を神様に献げると言われておりますが、時間の1割を奉仕の時間にしたら心が救われる人も出てくるのではないでしょうか?地域の民生委員も全くのボランティアではなく、月50,000円くらいの活動費は支給されているのです。民生委員は無報酬ではないのです。民生委員の親が亡くなれば市から大きな花輪が届きます。市民の税金が使われるのでしょう。市役所の人の個人のポケットマネーで花輪を出しているのではないと思います。私の祖母が亡くなった時もありました。何でもかんでもお金なんて嫌だわ。無償で入れる納骨堂があったら良いですね。