「愛」とは。結城美帆子

「愛」とは、生まれた子供が真っ先に母親から受け取るものである。子供はいつも最大限に愛してくれるように母親に要請し、その愛を独占しようとする。こうした愛は、成人後にも引き継がれるものであり、恋人からの愛常に不足と感じ、より多くの愛を願う場合も、子供の母親ヘの愛の要請と同じである。子供の愛に対して、大人の愛とは、「与える愛」である。お互いに愛を要求しあうばかりでは、必然的に争いが生じ、その愛はすぐに破局を迎えるだろう。愛を存続させるためには、互いに愛を与えあうことが必要となる。しかし、「愛を与える」と言っても、いったい何を与えることなのだろうか。ラカンの定義によれば「持っていないもの」である。持っているものを与えるのでは、愛を与えることにはならない。母子関係を見ても、子供の欲しがるものを与えると、それは次の要請を生み、一つ一つの贈り物の価値は減ってゆくばかりで、決して母親の愛の証とはならない。それでは、「持っていないもの」、しかし「与える」ことの出来るものとは、いったい何か。それは「無」である。愛を与えるとは、自分の最も内密なところには「無」があり、それはあなたでなければ埋めることが出来ないと告白すること、そしてその「無」を捧げることなのだ。

ぼくにつくってくれるかい   きぬのシャツ?    パセリにセージにローズマリーにタイム    はりもつかわず   ぬいしろもなしで   そしたらきみはまことのこいびと

それをあらってくれるかい   むこうのいずみで?   パセリにセージにローズマリーにタイム   みずもわかない   あめもふらないあのいずみで?    そしたらきみはまことのこいびと

マザーグースの代表的な童謡である。ここには、与えることの不可能な贈り物を相手に求めようとする、愛する者の心が歌われている。この歌詞もまた、愛とは「持っていないものを与えること」で生まれるものだ、と伝えているのだろう。

向井雅明氏著書「考える足」より抜粋。